ノルウェー留学中に驚いたことの一つに試験のやり方があった。
私が通っていた大学院では単位を取るための試験が①school examか②home examの2種類の方法があって、どちらの方法になるかは、その教科を担当している教授が決めるものであった。
詳しいやり方は
①Home exam・・・・自宅で出された課題に対するレポートを書いて提出。だいたいA410枚程度を1週間の間に終わらせてウェブ上で提出。
②School exam・・・・教室で行われる試験。
私が驚いたのはこの2番の学校で行われる試験の方法で、なんと制限時間は1教科で6時間。毎回9時から15時まで缶詰状態で行われた。
このSchool Examでも二つのタイプがあって、一つはPCに打ち込むタイプで、もう一つは紙に書く伝統的なタイプ。いずれも終わったらその都度退出可能で一度退出すると再入室はできない。教室にはトイレが付いていて、食べ物と、辞書は持ち込み可能(電子辞書も可だった)であった。
紙に書くタイプの方は今でも忘れないが、今時、「複写式」になっている紙に回答をかかなければならず、一度書くと消しゴムで消すことができないため、間違えると二重線で訂正するしかないというなんとも出来上がりは悲惨なものであった。特に英語が不完全な私にとっては最悪な試験になった。(奇跡的になんとかパスできたが、評価は五段階中4だった・・・・)
PCを持ち込むタイプのほうは試験前までに自分のPCに、課題をタイピングするための専用のソフトみたいなものをダウンロードしておくよう言われ、ダウンロード先のURLを渡される。試験当日にはそのノートパソコンを持ち込んで、回線は特殊なVPN回線にされて、そのソフト以外は一切開けないような設定がされる。試験が始まるとそのソフト上に問題が出てきて、回答をタイピングしていく。
というものだった。
問題数は試験によったが、だいたい4から6問くらいだったかなあー。
内容はすべて記述式。穴埋めはない。わたしは文系の学部であったため、例えば「⚫︎⚫︎の概念を説明せよ」とか「⚫︎⚫︎についての⚫︎⚫︎の観点からあなたの意見を述べよ」などというものであった。
6時間長いなあーと最初は思っていたが思った以上に時間はあっというまに過ぎていく・・・私は時間いっぱい使うことが多かったが大半のクラスメイトは4時間半とか5時間で終わらせて帰っていき、だいたい10%程度の生徒が最後まで残っていたような気がする。途中、バナナを食べたりヨーグルトを食べたりしている人もいたけど、私にはそんな余裕もなかった。
私は初めてのSchool Examで単位が取れるのかの不安と緊張で試験数日前から激しい歯痛(試験が原因でないかもしれないが)に襲われ、痛み止めを机において試験を受けた記憶がある。試験が始まる前に職員が机にあるものを見回りにくるのだが、痛み止めを見て「これは何?」と聞かれ事情を説明したら気の毒そうな顔をされたことを覚えている。
余談は置いておいて、どうやら当時のノルウェー人のクラスメイトや、夫に聞くとこの長時間の試験は高校生の時から行われていて慣れっこだというではないか。制限時間は1教科4時間くらいだったようだが、今まで穴埋め問題が試験に出された記憶はあまりなく、どの教科もほとんどこのような記述式だったとのこと。
私が日本で受けてきた定期試験は小学校から高校まで、どの教科も単語を一つ書くとか、数字を書くとか穴埋め問題がほとんどで、記述式はあったとしても論文形式ではなく、1、2文程度を問われるような問題だった。
大学の時ですら、レポート提出が多かったけど、学校である試験も何回か経験して、それも穴埋めだったように記憶している(なんの教科だったかは覚えていない)。つまり何がいいたいかというと、長文で何かを説明したり、自分の考えを述べたりされることに慣れていないということである。これは私だけではなく、多くの日本人に当てはまるのではないかと思っている。
日本人は空気を読む文化であるため、反対意見を述べることで空気を乱したくないために討論をあまりしないなどと言われることもあるが、それだけではなく私は長い文章で説明をしたり、議論をしたりすることに若い時から慣れていないから苦手なのではないかと思う。
実際日本での学生時代も先生が「質問や意見はないか?」と皆に尋ねても誰からも手が上がらないことはよくあり、そのまま授業が終わっていたように思う。もちろん活発に意見をする人はいたが、ほんの一握りではなかっただろうか。
一方、10代の頃から毎回の定期試験で長文で物事を説明したり、意見を書いてきた人たちは討論ができる大人になれるのは不思議ではないだろう。
留学時代は講義の後、かならずディスカッションタイムがあり、白熱して休憩時間がなくなることもあった。挙手をするのはいつも決まった人ではあったものの、一見シャイそうなノルウェー人たちが、すらすらと意見を述べる姿を見ながら私は「私にはどうか当てないでくれ」と毎回思いながら授業に臨んでいたのはいうまでもない。
もちろん議論が苦手な理由を全て教育のせいだとは全く思わない。実際同じ教育を受けてきた日本人の中にも討論が上手い人はたくさんいる。でも、やっぱり苦手な人もたくさんいるのも事実だと思う。
もしこれまで学校で受けてきたテストがノルウェーのようにほとんどがこの記述式タイプだとしたらもしかしたら状況は少しは違っていたかもしれない。
それに暗記メインの問題形式だと、結局その答えを覚えることだけに必死になってしまい、テストが終わると時間と共に記憶からなくなって、全く意味のない勉強になりやすいことも否めない。
私が体験したような長時間試験がいいか悪いかは別として、どんどんボーダレス社会が進む中で日本の教育もずっと伝統的なやり方を貫くんじゃなくて、他の国のやり方で良さそうなことは取り入れてみたり、吟味したりして、世界に通用するような大人になることを手助けするようなやり方に日々進化していくといいのになと思った今日この頃です。
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